2019.04.22.世界周遊記
ブエノスアイレス7(アルゼンチン)

Obelisco de Buenos Aires/ブエノスアイレスのオベリスク

ライトアップされるオベリスク

コリエンテス通りと 7月9日通りの交差点にあるレピュブリック広場に位置し, 1936 年に市の創立400周年を記念して建てられた. El Ateneoの書店を見た後に疲れた足を引きずり, とぼとぼと歩いていたら偶然にこの広場に出くわした. 

南米にもオベリスクがあるのか…でかいな…

オベリスクといえば学生時代にヨーロッパを旅行した時にローマのパンテオンやバチカンのサン・ピエトロ寺院で見た. その時はカッコいいなと見ていたが, これがエジプト文明の戦利品だったことを私が知るのは, 加藤耕一著「時がつくる建築」との出会いを待たねばならない(汗). (詳しくは後述の「wikipediaより引用」を参照ください.)

しかし, この南米のパリ, ブエノスアイレスのオベリスクは鉄筋コンクリート造で建造されたものであることを知った. 2m毎にコンクリートの打ち継ぎ目地が切られ, 合理的に67.5mの高さが打ち上げられている. アルベルトプレビッシュという当時のアルゼンチンのモダニスト建築家の設計らしい.

これを見た時, 複雑だがその建造には今を生きる民の願いや記憶が宿っているのだなと思った.

というのも, エジプトから略奪してきた戦利品を, ヨーロッパの民が我が文化として千年以上も傍に置き, 南米大陸が発見されてヨーロッパ移民が流入し, 市の独立を記念してオベリスクを建てる. あまりにも長い時が流れ, 意味が変化している. 元はと言えば2000年前に「奪ってきた文化」を, 完全に「自分の文化」に仕立て上げているのだ. 

そういったことを知ってから「建築の再生は, 負の記憶すら果てしない時間をかけて正の歴史へ再生することができる」と考えるようになった. ただし, 建築が無くなれば記憶すら消えていくのだから, 私は小さくても,ささやかな記憶でも, 丁寧に掬い, 後世に活かされていく文化を, 建築再生でやりたい と決意するに至った.

<以下、wikipediaより引用(https://en.wikipedia.org/wiki/Obelisco_de_Buenos_Aires)>古代オベリスクの起源は、太陽信仰のヘリオポリスベンベンを模式化したものと考えられている。側面には王の名や神への讃辞がヒエログリフで刻まれ、太陽神と共に王の威を示す象徴とされた。後の時代にローマ帝国がエジプトに侵攻すると、オベリスクは戦利品として頻繁に略奪された。4世紀に首都となったコンスタンティノポリス競馬場にも略奪したオベリスクが運ばれ、現在のイスタンブールにも残っている。以降の時代も欧州諸国からの略奪は続き、それらの国の公園や広場の装飾品に用いられた。フランスコンコルド広場や、バチカンのサン・ピエトロ広場にあるオベリスクはよく知られている。そのため、現代エジプト国内に残されたオベリスクはカルナック神殿ルクソール神殿などにわずかに残るのみとなった。エジプトのオベリスクはその多くが花崗岩で制作されていたが、20世紀以降に南米で制作されたオベリスクの中には鉄筋コンクリート製のものもある。

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